ひとつ前の投稿にも関わる事なんですが、フランスで子どもと勉強をしたり習い事をする時にいつも悩ましいのが、タイトルにあるガンバリズム(頑張ること)と楽しむことのバランスについてです。
子供をどこまで頑張らせるか、どこで一歩下がって余白を残すかということです。
私が育ってきた日本は、幼少期の早期教育熱から始まり、都心だと小学生のうちから中学受験をしたりその後も競争を意識するのが当たり前の環境。(もちろん全員がするわけではないが)
そのほか、やれ絵画コンクールだの運動会だの、作文コンクールなど、とにかく日常のあらゆる場面で比較され、順位をつけられてきたように私は思います。
大人になる過程で、大学受験(経験していないが存在は知っている)や留学、就職試験に資格試験、仕事ではプレゼンやコンペ、転職などを経験し、競争が必要なことも重々承知。
競争があるからこそ管理する側の困難が減りますし、挑戦する者は獲得できるものがあったり、努力をするモチベーションや自信になるってことも体感的に理解しています。
そして大人になったあと、この比較グセやガンバリズムによる弊害に悩まされたのも事実。
そういう感覚ゼロの旦那さんと一緒に生活したり、疲弊しなくてもできることでお金を稼いだりする中で、自分はけっこう無駄なことに悩んでいたなと気づきますし、勝ち負けを意識しなくても生きていける世界のほうが私は向いてるし幸せだな、とわかりました。
そもそも一人っ子なんで競争苦手だし。
でも子供のこととなると、違うスイッチが入るようです。
フランスに来る前は「競争と比較」が地球全人類が育つ過程で当たり前と思って育ってますので特に意識することもなかったけれど、フランスにいるとまあ、幼稚園~小学生のうちは競争させないんですよね。
あえて「競争させてはいけない感」があります、成績の付け方も昔と変わったようですし。
それがいいか悪いかはわかりませんよ。
習い事にしても、例えば娘が今習っているバイオリンに関して言えば、日本の意識高い家庭は3~4歳から楽器を持ち始め、上手な子は日本国内のコンクールや国際コンクールも小・中学生のうちから視野に入れる親御さんが多いと思います。
でもフランスは音楽コンクールを一般の子どもに提案することはまずありません。
進度も日本に比べるとかなり遅いです。
コンセルヴァトワールの先生の進め方がゆっくり(要は厳しくない)なのが気になって、日本人のヴァイオリンの先生に聞いたところ、やはり日本人の先生だと進度は2倍、練習量は同じだけどフランスが4年かけてやる内容を2年で終わらせるそうです。。
私はきっと「頑張るが正しい」と骨の髄まで染み渡っているのか、小学生のうちは時間が余っているんだから今のうちに勉強や習い事をもっと進めれば、中学で勉強に忙しくなったときに楽になるし、その時にもっと出来ることが増えるのでは、と思ってしまうんですよね。貧乏性なのか?
本人にやる気や適性がないなら他の能力を底上げすることに腐心しますが、娘の性格なら、もっとやればもっと出来るんじゃないか、と思ったりするわけです。
でもフランスで育った旦那は「人より先に進んで、その先に何があるの」というようなことを言うんですよね。
プロになるわけじゃないし、楽しむために音楽はあるし的な。
いやまあそうなんだけど、君みたいに自由に楽しく楽器弾けるようになるにはかなりの練習量が必要で、今なら子供だから吸収力もあるしその時間も取れるのに、と機会損失感が残るんですよね。
でも現実的には、娘が今のコンセルヴァトワールの環境が気に入っているので、このまま先生も変えず、現状維持します。
余白を残すということです。
やればもっと出来るかもしれない、もったいないかもしれないと思いつつ、目指すハードル(受験校やコンクールなど)もないし、今はそれなりに楽しんでいるので、まずは楽しく継続できる方法を選択するということです。
娘の楽器練習時間は一日30分で、習慣にはなっているけど自らヴァイオリンで遊ぶということはないので、すごく好きなことではないのだと私は見ていて思います。
なら辞めれば?と思いますが本人は続けたがっており。
この先に目覚めるかもしれないし、辞めるかもしれないし、先のことは分かりません。
もっと伸ばしたいと本人が思ったときに環境を準備することだけ。
何かを夢中で頑張った先に見える世界にも憧れるんですが、我が家は頑張る系ではないため、子どもに頑張れと強いるのも不自然だし、何より説得力ゼロ(笑)。
なので、楽しく無理なく小さな継続を着実に積み重ねていくことを頑張ろうと思います。
ちょうどそんなことを考えていた時に普段フォローしているお絵描き算数どんぐり倶楽部の塾の記事が刺さり、やっぱそうだよな、子どもを追い立てる理由もないし、楽しんで好きなことをして過ごすのが一番だなと少しほっとした気持ちになりました。